私がこの闘病日記を書くようになったのは、2015年にガン告知を受けてからだ。目的は何となくもう一人の自分に伝えるような気持ちで始めました。その後ガン関係の本やホームページをむさぼり読むようになり、同じ状況にある人やこれから同じ経験をするであろう人たちに「自分のケースも参考になれば良い」という気持ちもこれを書く動機に加わわりました。従って病気や体調が中心で、それに伴う自分の気持ちや周りの状況が中心の文章になっています。他の人との関わりなどはあまり取り上げていません。(普通のブログとは違うところです)

 告知からの経過は(HOME)から各期間項目をご覧ください。

 〈いよいよ冬が来ます体が冷えると手足のシビレが5割増しになります。

 2015年12月の大腸がんの手術に始まったがん治療がまる3年になり,力付けのメッセージをいただいている方々には感謝あるのみです。転移していた肝臓がんの手術2回・再発、肺への転移、胆管にも広がっている可能性もある状況で、抗がん剤新コースのトライがはじまりましたが(イリノテカン~5-FU~パニツブマブ)コースは効果が出ませんでした。2018年5月から別のコースをトライしています。分子標的薬をパニツムマブからサイラムザに代えました。7月末のCT.血液検査でサイラムザも効いて無いようです。8月の入院でザルトラップという血管新生阻害剤に変わりました。しかしこれも10月16日のCTの結果や11月13日のCEAマーカーの結果〔694.8)を見ても改善は見られませんでした。(総胆管結石胆管炎の治療の為に1ヶ月間抗がん剤を中断していましたが)

 

1月21日

顔を洗ってふと顔を見て少し驚いた。真っ黄色だ。数値的に見るとビリルビンと言う黄疸の度合いを測る数字がマックスに上がっているので当然といえば当然だ。便は白っぽいし、痒みだけは一錠1300円の薬で少しだけ収まっている様だ。それにしてもステント埋め込みが終わってしまったので、後は何をどうしたら良いのかが見えないので・・。

腹水が溜まっているので医師に「ハリを刺して水を抜くんですか」と聞いたらば薬で処理しますとの事。少しホッとしました。ただ胆石の時に麻酔の注射でお腹にハリを刺したがあまり痛くなかったからだ。麻酔注射の前に表面麻酔をしてくれたのだろうが・・ややこしや!

1月17日

検診日だったが2〜3日前からお腹が張っていたので話しをするとやはり腹水が溜まって来たのでしょうとの事でした。こうなるとは思っていたが苦しくて食欲が出ない。前の物がまだ入っていて新しいものが入らない感じだ。

血液の数値も確実に上がっていて特にマーカーなどはもう悪い上限を超えていてCEAが3335.9、CA19ー9は6159.1だ。医者いわくここまで高くなると余り数値は意味ないと言っていました。黄疸の元のビルビリンは21だが手術の時が9なので、多分顔の黄色さもだいぶ増しているのだろう。身体の痒みも夜になると激しいので薬も利尿剤と痒みどめが加わる。この薬なんと一錠1300円だ。

2月中旬から下旬にはホスピスに入る予定です。

1月13日

最近食欲がある。抗がん剤をやめて病院を変わって薬もかわった。単純にそれで体調が良くなったとは思わないが体に良い何かがあるのだろう。ただガンは自分のペースで成長しているのだろう。今後の緩和ケアとはこの状態を保って少しでも長生き出来るようにする事が目的であり病院の緩和ケア科になる。


1月11日

新年を迎え体調は問題有りません。現在の問題点は前からの足の痺れ、黄疸的症状(皮膚が黄色い、身体中がかゆい、便の色が変わる)は相変わらず出ています。表には出ないが血液で分かる肝機能、血液状態(白血球、血小板等)ビリルビンの数値等(血管に漏れている胆汁の度合い)は分からない。

久々に痛い所が特に無い普通の生活をしています。

1月5日

今年初めの検診でした。こちらの病院での定期採血は初めてでした。前の大学病院の採血スペースは大きな会議室のようでしたが、こちらはこじんまりとしていて時間も遅かったので直ぐにできました。

しかし検診でのビリルビン数値は手術前より上がっていました。先生も考え込んでしまいました。ステントが現在のところあまり効果がないという結果です。手術前に必ずしもこれで黄疸が治るかどうかは分からないと聞いていたので仕方がない事だ。処置が失敗したという事ではない。以下参考

http://drpolan.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-24ff.html

 

2019年1月4日

フェイスブック
暇に任せてフェイスブックを見ている。便利なツールには良い所悪い所があり、良い所は暫く振りの知り合いと連絡が取れる事があったり、友達の状況がすぐ分かります。
逆に今の様に入院などしている時などは「今皆んなで忘年会で盛り上がってまーす!」「ここの名産の新鮮な00は矢張りこれです(写真)」「久しぶりに・・さんと老舗名店・00に行きました。」こんなコメントと美味しそうな写真ばかり見ているとなんとも取り残され感が辛いです。

 

先日の朝日新聞にアメリカでの調査で、ファイスブックとうつ病の関係の記事がありましたがSNSが登場してからの大衆の心理状態は子供から大人までに何らかの影響を与えて、将来に大きな問題を残すような気がする。

 

2019年1月1日

あけましておめでとうございます。自宅で正月が迎えられました。

 

血液検査評は退院の時にもらえなかったのですが、まだまだ黄疸の状態は完治してないようで体の痒さ顔の黄色さ(正月早々ですが)便の白っぽさはあまり改善されていません。処置してくれた先生は最善を尽くしましたと言っているのでここまでが限度なのかもしれません。肝臓の中には胆管が多数あるので、どれが詰まっているかは手探りで行うらしいです。5日の血液検査に期待です。

12月29日

昨日無事退院しました。

こちらの病院はなるべく患者に自宅でお正月を迎えてもらおう・・と言うのがポリシーのようです。

1月は5日に経過検診になります。

12月26日

現在の状況です。

管内胆管にステントを2つ入れて胆汁が通り安くなりました。しかしビリルビン数値は9に上がったていたのが現状7です。先生によると段々と減っていくでしょうとの事。肝機能の数値が3桁が2桁に改善しているのでドレナージは成功していると思いますとの見解でした。

退院は28日を予定しています。

 

12月25日

 

「運命」
前も書きましたが、矢張り運命的な積み重ねが人の人生を決めます。
まず良くアニメで使われる「時空」。時間で言えばいつ生まれるか。私はたまたま1943年に生まれましたが今生まれた人もいます。空間で言えば私は東京で生まれました。イランで生まれる人もいます。
そこから始まって、どんな親から〜五体満足で〜兄弟は何人で、皆んな運命です。その中で自分が選択できる事もそれぞれの時点で沢山有ります。

*病院から富士山が見えます。
自分ではどうしようもない事と
選択できる事の絡み合いで今があるのです。

言いたい事はお分かりと思うので、今の自分で言うと病院の選択や治療法の選択は数少ない選択肢がある事です。いずれにしても現時点の自分の状況は運命と選択(ベストな選択が出来る様に自分を磨く)の結果あるのです。

 

12月24日

食慾の不思議」
今回の病気で2回食慾が無くなった。1回目は抗がん剤の副作用なので原因も分かり納得出来る。しかし2つ目はどうも体調も悪いし食慾がないあ・・まだ副作用あるのかな。これは肝臓、胆管などの消化器機能の不調からだった。人間の機能の素晴らしさで、好きなものでも体に悪いものは防御するのと言う神の采配だ。無理に嫌なものは食べない&食べたい物を食べるこれは体のために正しい。

 

12月22日

おはようございます。

昨日肝内胆管のドレナージ処置終わりました。これがなかなか難しい手術のようで,胆管やその他の臓器に傷を付けたりして感染症など起こしてしまうと命に関わるそうだ。と言っても私はもう命に関わってしまっていますが。

幸い胆管にステントという胆管を補強するものが装着されたようです。取り敢えずは黄疸は治るだろと思います。しかしいつ又他の胆管が詰まって同じ様になるかはわからないそうです。癌が大きくなれば可能性は高くなりますね。

20日からまる2日間水も食事も禁じられていますが、不思議なものであんなに食慾ないと言ってきたのに夜中に好きな物を食べている夢を見るのです。

 

12月20日

数値の急上昇が心配だったので新し病院の先生に連絡して急遽本日診察してくれる事になった。2時の約束で血液数値を見せると、直ぐに内科の先生に連絡を取ってくれた。内科の先生も決断力早く採血、CT、心電図、レントゲンを手配し、結果を見て「今日入院して下さい。明日ドレナージ手術しましょう」矢張り規模は大きくないが小回りが利く凄さに感動しました。4時頃にはここまで来ていました。

家を出るときは年内に出来るといいなと思っていたので・・。しかし前と同じで何も用意していない。また今日は一人慌てました

 

12月19日

今年のクリスマスはホワイト・クリスマスでなくて(イエロウ・クリスマス)になりました。17日に新しい病院、18日に元の病院のご挨拶でしたが、最後の血液検査だけはやっていただきました。しかしその結果が厳しかった

腫瘍マーカー(CEA)が前回の2倍1407.1(通常5.0以下)。そして黄疸になりました。総ビリルビンが7.5

前回は1.3(通常1.2以下)。これが黄疸の原因の数値です。肝臓内にある胆管が癌によってつまり胆汁が流れないので血管に入ってしまうのです。その結果すべての肌色が黄色くなり白目も黄色くなります。倦怠感、食欲不振、体が痒い、便が白くなり尿が黄色くなります。これはドレナージという処置で胆汁を抜きます。前の胆石と同じような方法で内視鏡で12指腸経由胆管でカテーテルを入れて処置する方法とお腹に穴をあけて肝臓までカテーテルを入れて抜く方法があり私は前回失敗しています。今回は新しい病院でやるのですが多分内視鏡だと思われます。こちらの方が新しい方法です。師走も押し詰まって年内か新年か?ここ数年この時期は殆ど手術入院でした。新しい病院のお節が体験できるのでしょうか・・。それにしても腫瘍マーカーが2倍になっているのは気になります。

 

12月15日

12月も半分残すのみになりました。ガン告知から3年をになるが、ここを区切りに抗がん剤を卒業すると共に、病院も変えることに決めた。新しい病院は緩和ケア中心になるが、ガン進行に伴う症状には対処して貰えるし個室の病室も用意されている。

幸い前の病室より自宅から近いのでカミさんの労力も少しは軽減される。そんな事で雰囲気だけは新しい新年になる。

17日は新病院の検診で18日は旧病院へのご挨拶に行く予定です。

12月11日

とにかく寒い。更に昨日まで浴槽に入れない。

今日は巻き爪の診察があり入浴解禁だけの期待で行ったが見事OKが出た。

1週間ほど前まで右の喉が痛くて扁桃腺かなと思っていたのだがなかなか治らない。

そんなことで歯の治療もキャンセルしているのでそろそろ抜かなくてはならない。

このようにあっちも、こっちもなので一度にやると体がついていかないと思うので焦らない

ようにしようと思っている。

12月2日

11月29日の検診で抗がん剤の卒業を決めました。前から考えていた事ですが、抗がん剤最後のコースも効果がない事や国立がんセンターの「75歳以上の抗がん剤治療 は効果ない」などの情報https://youtu.be/WXdUbAkhpd8

更に胸に埋め込んだポートも詰まってしまった事も含め

決めました。そこで3年間お世話になった病院も来年から別の病院に変わります。

2週間前に手術した足の指が治りません。だんだん良くなっているならば問題ありませんが、色も変わってちょっと心配です。4日が検診なのでとにかく待ちますが、寒いのに風呂に入れないのが困ります。


11月27日

巻き爪手術から1週間目病院にチェックに行きました。一昨日くらいから靴の内側につま先が触れると痛いので診察ののタイミングは丁度良かったです。まだジュクジュクした感じで痛いですと言うと3週間はかかりますよと言われてしまった。1っ週間くらいでOKと思っていたがやはり肉が盛り上がったりするのには時間が必要のようだ。

明日は歯医者、明後日は抗がん剤の病院・・・ハードスケジュールだ。仕事でないのが情けない。

もう抗がん剤は卒業する予定で、12月からは定期診断も新しい病院で1本化するつもりだ。

11月21日

昨日右の親指巻き爪の診察に行き、前日に手術をした指が、薬を塗り四日ほどおとなしくしていれば殆ど治りそうです。そこで4月以来苦しんだ巻き爪治療について今後治療する人のために全貌をご説明しよう。

下の写真は上段左、下段右で、別々な方法で治療しました。(こんな例はあまりないですね。)

昔から少しは巻き爪の傾向はあったのですが、痛くなったのは今年の4月からで写真のように左の親指がこんな状態で痛くて歩くの引きずりながらもやっとでした。病院の皮膚科で液体窒素で何回か焼き、落ち着いた後に近所の皮膚科でワイヤーを爪の左右に穴をあけて時間をかけて開きます。食い込んでいたものを広げる時が脳天を突き抜けるような痛さがありました。1か月ほどでワイヤーを締め直し4か月ほどで正常の形になりました。1年か2年でまた食い込みだすらしいです。

皮膚科でのワイヤー治療は保険が効かないので1万7千円ほどかかりました。

11月21日

右の指も4月の頃は左より巻き具合はひどかったのですがあまり痛くなかったので放っておきました。皮膚科の先生も見ても話題にもしませんでした。左指が治った頃に、右指が少し靴などに変なあたり方をすると痛くなりました。左のようになると嫌なので11月5日に新しい病院に行った時に先生に相談すると「抗がん剤の副作用ですね」と今度は形成外科を紹介していただけました。確かに5月の時点から写真で比べるとあれよあれよと言う間に巻き込んでで行く状況が分かります。18日に診察を受けると前に書いたようにはっきりした先生で、直ぐフェノール法と言う爪の両側の食い込んでいる部分をカットして取り外す手術に取り掛かりました。下の写真の白い紙の下の方にあるのが肉に食い込んでいた切り取った爪です。手術はほんの10分で終わりましたが麻酔注射を指の股にする時が一番痛くその後は痛い場面は全くありませんでした。しかもこれは医療保険が効きました。 さて皆さんならどっちを選択しますか。それにしても皮膚科と形成外科で巻き爪治療が出来るとは思いませんでした。

11月19日

本日は新しい病院の検診日でした。しばらくの間今までの病院と新しい病院を掛け持ちで通わなければなりません。(理由は後日)こちらの方が家に近いし10時の診察だったので余裕がありましたが、バスも使用するため渋滞が心配なので早めに出ました。

前回お願いしておいた。巻き爪の形成外科への紹介をしていただき、あまり待たずに診て頂けました。さっぱりした先生で、直ぐ切りましょうと言って足の親指の股に麻酔注射をして10分後には爪の両側を盾にカットしておしまい。あっけなく、終わりました。巻き爪の事はまた・・・。

11月15日

3年間の抗がん剤生活もそろそろ終わりに近づいている。闘病生活の言葉が一番ぴったりするのが癌細胞と抗がん剤の戦いだろう。人間同士の戦いに置き換えると、まずイスラム国のような集団の発生が起こる。その国はどんな集団か分からないのでとりあえずとり除く事を考え、闇雲に鉄砲を撃ってみる・・・勢力が弱ったところで拘束したがその中で何人かが建物などに潜み仲間を集めることをやっている。しかも少し離れた場所でも勢力を集めて前の戦いを反省して防弾チョッキなどで厳重な防備をしてくる。それも一カ所だけでなく色々なところで行動を起こす準備をしている。時期を見てまた暴動を起こす。今度は前回の方法では反撃は収まらないので又闇雲に新しい武器を考えて攻撃する。少しは収まる集団もあるが色々な地区で暴動がおこり混乱の末相手を殺すつもりが自国の兵隊を殺してしっまったり武器庫を爆撃しまったり・・。暴徒集団の反撃も強くなりどんどん国を侵略されてしまう。こんな闘いが体の中で行われているのだ。

私の体は暴徒に勝ち抜くだけの新しい武器や体力がなくなっているようだ。大事な胸の武器(ポート)も壊れてしまった。後どの位闘えるかの問題だ。

11月13日

今日は結石胆管炎治療から退院して初めての診察日でした。時間がいつもと違い10時半だったので家を出るのも1時間遅れの8時でした。駅に着くとラッシュの混雑は何時もの何割かましで始発にも関わらず2台見過ごしてやっと座れました。駅を重ねる毎に満員度合いは激しくなり足をかばうのがやっとでした。

診察の結果抗がん剤を再開することになり、胸のポートに針を刺しテストしましたが通りが悪いのです。先生を呼んで色々やったのですが。結局手術をして胸に埋めたポートは使えなくなりました。大ショックです。3年間なんともなく働いてくれたのに・・。結局今回は腕から点滴をしたのでポンプで家まで続ける薬5ーFUはやれませんでした。今後は像映剤なども全部腕からやらなければならず、血管の細い私としては溜息が出ます。

11月8日

久々のブログアップです。特に何かあったわけではないのですが胆管入院の後何となくお腹がすっきりしませんでした。10月9日に抗がん剤を投与した後今日まで1か月お休みしていますが、次の検診日は13日になりますのでそこから再開しようと思っています。

19日にはほかの病院で右足の巻き爪の治療をします。左はワイヤーで広げましたが右は激しいので激形成外科でフェノール法という麻酔をして爪を切る手術的なものになりそうです。

また奥歯と詰め物の間に空洞が出来ているのでこちらも治療しなければなりません。医者通いが多くて忙しいです。

10月30日

退院以降何か腸の調子が良くなくて食欲もない。今回の事で改めて思ったのは人間の体の微妙なバランスだ。抗がん剤が良い例でがん細胞をやっつける事が全てで他の事はすべて犠牲にするから当然体のバランスが崩れてその人の弱い所へ影響が出る。今回のように手術を一つすると思わぬところにその影響が出て普通のバランスに戻るのにはだいぶ時間がかかる。高齢になると更にだ。

10月26日

昨日退院しました。約10日の入院ですが、癌とは直接は関係ない所で緊急入院でいささかダメージがあり昨日はUPする気力がありませんでした。何の準備もなく即入院だったのでやらなければならないことやメールチェックなどいつもとは違う退院後の状態でした。病院もベッドの手配が直ぐにできなかったり途中で個室も含め3回変わりました。今日はやっと落ち着きました。

10月23日

昨夜から通常食になりました。食べものがドーンと前に出ると途端にもうそれが全部お腹に入ったような気になり、それだけで満腹になる。結局7割位は食べられた。

もう一度採血をして25日に退院の予定になりました。またこれから癌との戦いが始まります

 

10月20日

手術の結果は成功し、目的の石は取れ胆管にあった胆汁と他の余計な物も掃除してくれたらしい。しかしこれをやるとよく起こる膵臓などの炎症を起こすらしいが私もそれが起きているようで、今日もまだ流動食だ。これが普通食になったら退院らしい。この辺の臓器は複雑で内視鏡で調べてからのその場の処置が大事なので、熟練医師の腕が結果を大きくて左右するらしい。

10月18日

お腹が痛くなってからもう5日くらい食べ物を食べていない。一昨日4時頃緊急入院、昨日レントゲン、心電図などの基本的検査、きょうは午後と言われていた手術は結局4時頃から始まった。内視鏡を口から十二指腸の先まで入れてそこに穴を開けて胆管の治療をするらしい。「総胆管結石性胆管炎」が正式の病名だ。しかし私は麻酔をしているので気が付いたのは2時間半位過ぎてからだろうか。手術の結果は明日あたりの血液の数値で判断するらしい。兎に角腹痛は点滴で治っていた。

10月17日

昨日はCTスキャンの日で午後からの予定でした。丁度昨夜未明からみぞおちが痛くCTのついでに診断を受けようと予約を取りCTが終わって診察室に入ると「即入院!」長く病気をしているとこんな事は良くある気がしますが(特に抗がん剤をやっている身には)昨日の様な事は初めてだ。(TVではお目にかかるが)

寝巻き、スリッパ、洗面用具何もないが医者が直ぐベッドを手配してくれた。時間は3時半頃なのでカミさんが家に帰って一式を揃えて持ってくると言う。その辺は手慣れていて有難いものだ。感謝!

病気の方は胆石が胆管に落ち、挟まっていると言う。何故こんなに急がなくてはならないかこれは専門でないのでよく分からない。

前回お腹に注射して管を入れる作業を今度は内視鏡でやる。胆石除去とドレナージ(胆汁を抜く)

この辺の処理は結構難しいらしく同意書には例によって「命に関わる事も・・」の字が踊る。

10月14日

樹木希林の生き方、死に方が話題になっていますが、同じキャンサーとして分かるところがあります。ガンになっって考え方が変わったのはそれまでと違い、まず全ての行動や発言が他人からどう見られるかを気にしていた部分をどんどん削ぎ落としている事です。樹木希林さんも相当削ぎ落として行動していたと思う。

このブログも匿名ではありますがフェイスブックにupもしているので自分をあからさまに書いているつもりです。

人との付き合いで、ただ自分のやりたいようにやるって言うことではなく、相手と意見が違う事ははっきり自分の意見を言う事や、相手にとって良いと思ったら指摘してあげる等も削ぎ落としの一つです。それで愛している人と疎遠になっても仕方ないと・・。逆に上べのお付き合いが本音が理解し合えてお互いより深いお付き合いになったりする。

また限りある時間を与えられた事で、自分から発信出来る事を行動する意欲と濃度が倍増される事です。樹木希林さんの3本の映画を早く観たいです。

そんな事などがよく言われる「ガンになって良かった・・と言われる所以だろうと思います。 

 

10月9

抗がん剤投与から今帰りました。カミさんを含め朝7時出の夕方帰りは疲れます。血小板数値は9.8あり問題なく投与で出来ました。(効いているかはともかく。)出来ましたと言うよりしていますです。何回も書いていますが途中から自宅へ投与しながら帰れるボンベ点滴です。4~5日の入院でなく日帰りで済みます。(胸などに手術でポートを埋め込むのが必須)これで明後日のお昼頃全部投与できて針を自分で抜き、幾つかの後処理を自分でしなさいという事です。(カミさんに感謝)

発明した人にノーベル便利賞を上げたいと思います。

10月5

巻き爪の治療が今日終わりました。膿んで歩くのにも不自由してから何か月になるでしょうか。最初は液体窒素で化膿?(写真中)している部分を何回か繰り返して焼き、それが無くなってから近所の皮膚科で巻き爪の治療をしました。丸まっている詰めを広げ、巻着込まないようにワイヤーで固定し、2か月ほどかけて写真のように完全に広がりました。(写真

右足は全く当たっていませんので強力に巻ています。(写真右)このままにしていたら海苔巻きのようになってしまうのでは・・・。どうしたらいいのか分かりませんが、皮膚科の先生は何も言ってくれません。体の異常がこれだけなら大騒ぎするとこれですが他に大問題があるとあまり気にならないのも不思議です。それにしても抗がん剤の影響大だと思いますが、ワイヤー治療には保険が効かないので17000円かかりました。美容の意識は全くありませんが・・・。??

10月1

がんの免疫治療薬オプジーボの研究で木庶教授がノーベル賞を受賞したが、この薬が以前高額(3千万円以上)で話題になりその後国の政策で半額以下になった薬です。元々皮膚がんの薬でその後他のがんにも効くという事でいくつかの部位で保険が効く標準治療薬として認められている。同じ免疫療法剤としてキイトルーダが発売され肺がんにはだいぶ使われているようだ。残念ながらまだ大腸がんでは保険の対象になる標準治療になっている薬はない。

これも薬なのでがん特有の副作用も強力で肺炎などで命を落とすケースや、投与して効果が出るのは2割程であるなどの問題点は已むおえない。

 9月25

本日抗がん剤投与でした。問題の血小板は8.8で前に止めた数値でしたが、薬の量を減らして投与する事にしました。10月16日にCTをやる事にして今後の事は10月23日の診察で決めることにしました。

 

朝は連休明けのラッシュでしたが、いつも思うのは(自分もそうだったと思うのですが)サラリーマンはギヤが働くモードになっていて顔つきも目つきも違い、周りの事は眼中にありません。新宿の改札でどちらからも通れる所があって、遠慮して待っているといつまでも通れないところがありました。私も突然競争心ファイトとパワーがおこり、カルタ取りのようにスイカをたたきつけ勝ちました。まだまだ大丈夫です。笑

サラリーマンのギアチェンジは戦いに向かうのだから目の色が変わるのは仕方ないでしょう。政治家も選挙は戦争なので目の色が変わリます。軍人の戦いは戦争です。もちろん目の色が変わって相手を殺す以外は眼中にありません。人は状況次第で変わります。

 

9月20

最近朝目が覚めてからTVを付けた時に選ぶチャンネルがNHKにになった。昔は民放の何処かで選んでいたが、何処を回しても殆ど同じ事件や芸能ネタの繰り返しだ。

 

それも特殊な状況をただ報告するだけで、その中にある人達の心迄はふみこみません。NHKの違う所は。ポイントのニュースをフォローした後は日本全国ごく普通の生活の中から話題を拾い、それに関わる人の気持ちに踏み込んで観る人に情報を提供しています。視聴料取り立てで評判が悪いNHKですが、番組内容では頑張っているものもあります。

9月18日

だいぶブログをお休みしてしまいました。体調が悪かったわけではありませんが、娘の上京や昔懐かしい人との顔合わせなどがあり少し頭の中のキャパをそちらに取られていました。

そんな中樹木希林さんの訃報があり、癌の進行や結末が本当に人さまざまだなと感じさせられました。余命1年と言われ5年間もお元気そう(ほかの人からはそう見える)に活躍されていて、昨日までそのままで急にいなくなってしまう。これも癌の一つの形なのだなあと改めて感じました。

私はとりあえず25日に血小板が許容範囲ならば抗がん剤を少なめにして投与します。この日は今後の事をソーシャル・ワーカーさんを交えお話しする予定です。現在は少しお腹が痛かったりしますが、単なる腹痛か、抗がん剤によるものなのか、癌によるものなのかこの辺が分からないのが困ります。

9月11日

今日は抗がん剤投与の予定日。7時に家を出て予定通り病院到着。9:30から©血液検査の結果診察。血小板は9.0で10に届かなかったが、薬を減らして投与をしました。マーカーのCEAは381で5月08日の値と並んでピークでした。という事は5月のピークから始めたサイラムザと言う分子標的薬が効いて一時186まで下がったが、耐性が出来たのか4ヶ月で元の数値に戻りました。話通り新薬は例えば効いても3~4ヶ月延命が出来るという事みたいです。今の薬も血小板が下がる副作用(骨髄抑制)があるのでまた次回もできない可能性がありなかなか効き目には期待できないだろう。

9月6日

ケモブレインと言う言葉を知っていますか。実は私も今知ったのですが、抗がん剤の作用で認知症的な小さいポカをする症状のようです。医学的に認められているのかは分からないが実例で色々あるそうです。私も最近ちょっとしたことを間違えたり忘れたりするので都合よく「それだ」と言いたいのですが・・・。「ケモブレインの謎を解く」よりhttps://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-12300129717.html

抗ガン剤治療中もしくは治療後に、物忘れや思考力の低下などの症状を、ケモブレインというそうです。

 

9月4

一週間はすぐ経つもので、台風予報の中朝7時に抗がん剤投与の為出発いつものように採血の後診察・・・しかしまたもや血小板が8.9ガーン。前にも書いたが前と単位が違って申し訳ありませんが、一般の上限が35、下限が15、私は8.9でした。来週また来ることになりますが、このままいつまで続くのか、多分がんの方は勝手に成長するだろう。

しかし読売書籍の出版本に「再発」と言う本があり流用させて頂くと(写真添付)なんとも複雑な心境になります。

8月28日

本日2回目の新抗がん剤ザルトラップの2回目の投与日でした。朝7時出で行きましたが、採決はすんなり1回目でクリアしたのに血小板が最低でも1000必要なのに880しかなく投与できませんでした。なんか気が抜けますね。また来週トライです。

8月23日

上京していた孫が帰りました。小学2年ですが、最初の日は新宿忍者屋敷からゴジラ〜親戚の家。2日目は朝8時から夜9時過ぎまでディズニーランド。3日目は品川水族館の後日比谷ミッドタウンでやっている変なもの展。その体力にはびっくりする。全部付き添う娘は大変だろう。カミさんは忍者屋敷と水族館を付き合ったようだがもちろん私は自宅近辺の食事だけ付き合いました。

8月19日

今回の手術とは関係ないが、どんな仕事でも趣味でも初めての時が必ずある。例えば飛行機のパイロットはサブとして体験を重ねてから乗客の命を預かる機長になるのだろう。鉄道など公共の乗り物もそうだろう。バスやタクシーの運転手もそうだ。観点を変えて調理人も初めて客に出す料理を作る時がある。

医者の話になれば初めての開腹手術、初ダビンチでの手術をする時もだいぶ緊張するだろう。ここで一線を引ける事が飛行機は失敗すれば乗客のみならず自分も命を落とす。電車もタクシーも同じだ。料理人はフグでもない限りお客は命を落とさない。医者は患者が命を落とすことはあっても自分は絶対に無事だ。こうして当てはめた時に新人の初めてのトライはケースバイケースではあるが本人はそれぞれどんな意識なのだろうか。自分を顧みると人の生きる人生の方向性を左右する大事な仕事だったが。自分にはその意識や覚悟はあっただろうか・・・。

8月15日

昨日退院しました。頭が切り替わらずボーッとしてブログアップも出来ませんでした。やはりカーテン1枚で24時間知らない人とベッタリは疲れているのでしょう。昨夜はグッスリ寝られました。とりあえずご報告です。

 

8月13日

4人部屋で前の人はイビキ、隣の人はオナラ半端無い。これも病気のせいだとは思うが、流石に電車の中ではこんなにしないだろう。公衆の面前だから。大部屋でもしないだろう。これも公衆の面前に入る。4人部屋はもう自分の家感覚か。2人部屋なら喧嘩になるかも・・。

8月12日

新しい抗がん剤の説明書を読んでいると、日常生活で注意する食べ物の欄に乳製品やカフェインのあるコーヒー等。刺激のある香辛料の効いたものなどとありました。

今朝の朝食に出たバターやチーズはどうなんだろう。昨日のカレーはだいぶ辛かったが・・。たくさん食べなければ良いのだろうか?

 

8月11日

抗がん剤を投与した日外来の夜は自宅でも眠れません。まして病院なので昨夜は殆ど眠れませんでした。やはり気分が重く食欲が有りません。さっき朝食を頑張って食べたのにもう昼食20分前だ。スルッと喉に入る物だと良いけど。やはり昼は少し残しましたが、夜はカレーでした。オカユにカレー?何かちぐはぐだけど好きな物なので完食しました。

何と病院から神宮の花火が見えました。何か得した気になりました。

8月10日

今日から新しい分子標的薬ザルトラップの投与が始まります。イリノテカンや5FUなどの抗がん剤は今まで通りやるので何種類かの薬が投与されます。

昨夜は若い人とそれなりの年齢の方が加わり4人になりました。むしろ4人の方が2人より気が楽なのはどうしてでしょうか、心理学的な理由がありそうです。

8月9日

昨日の処置で「発熱や腹痛があるかも知れませんよ」と言われていたが、昨夜はグッスリ眠れた。4人部屋の2人がベットを移動して2人部屋状態になったのもあるかもしれない。心配していた発熱も腹痛も全くない。

主治医との相談で胆管関係は後日という事で、このまま新しい抗がん剤ザルトラップを投与をして週明けに退院のスケジュールになりました。

8月8日(2)

「別の日にしましょう」えっ!どうしたの。

説明:胆管の前に門脈と血管があって針が胆管を捉えらない。一度は触れたのだが血液や胆汁で視界も悪くなりこれ以上作業が出来ない。

もう一度9日にエコー検査をしてどうするか決めましょう。こんなお話でした。

 

8月8日

一昨日入院し何時もながら心電図、レントゲンの基本検査をして1日が終わりました。いつもの4人部屋で若い人が1人、私より20才くらい下の人と多分年上の構成でした。

昨日(7日)3時から手術でした。全身麻酔では無いので事前の準備は点滴くらいで服装も寝まきのまま手術室へ。造影剤を入れてエコー映像を見ながらやるという事で部屋もその様な検査部屋でした。

胸に点滴用のポートを入れた時のように研修生を含め3〜4人いました。女性医師が「それでは始めます、麻酔の注射をします。」ヘソの上辺りにブス・・イテテッテ。それ以降は何がどんな風にて入ったかは分からず。担当は主治医の先生と会話をしつつ何か右手をお腹に添えて左手でお腹に差し込んだ物で何かを探している感じでした。しばらくして主治医に代わり同じ事を・・1時間程たった時「今日はやめて別の日にしましょう」??手術は終わりました。続きは後ほど。

8月5日

明日から入院です。入院胆管にステントを入れて胆汁の通りをよくするらしいが、十二指腸カメラで口から入れて作業をする方法と、わき腹から針をさしてやる方法とあるらしいがどちらにしても恐ろしい。しかしこれをやらないと黄疸になり半年持たないと脅かされたので・・・。

7月31日

抗がん剤投与日とCT結果が出る日でした。いつものように採血は2人目で成功しました。診断でスキャン結果を見ましたがガンはそれなりに成長していました。あと2パターンのコースがあるようですが、全く新しいロンサーフは血液への強い副作用と効く確率20%(推測)、延命効果(2~3ヶ月)(推測)など考えて止める事を提案しました。先生は副作用が出るか1回(ワンクール)だけ試しませんかとのお勧めもあり了解しました。その前に胆管の詰まりをなを直さないと半年持たない様なのでステントを入れる手術をやります。6日から10日間程入院します。その後残る抗がん剤コース2パターンをやりますが,いずれにしても3月~4月が目安となるだろうと思っています。平成超えなるか!ですね。


7月26日

やっと普通の暑い夏になりました。蝉が今出ないと・・・の感じで鳴ていましたが、まだうまく啼けていません。

今月を振り返ると病院、医者通いの明け暮れでした。抗がん剤のローテーションも2週間に1回ですが31日を含め3回でした。CTスキャン、巻き爪の治療が3回、前歯の治療が2回丁度暑い時期に重なりました。CTはまだですがそれぞれ良い結果が出ているのでありがたい事です。

大学病院は最初から学生さんが実習の勉強をするのは約束ですが、今回のCTの造影剤の投与は明らかに初めての実習と分かりやはり緊張が伝わります。造影剤は濃いので私のようにポートを入れている人はそこから入れられます。先輩の看護師さんが手を取り足を取り?クリアしました。

 

7月20日

歯が入りました。2本抜いて1本で詰めたのですが、全く違和感を感じません。さすがは評判のいい歯医者です。

それにしても暑い。抗がん剤の影響も含めさすがに体が悲鳴を上げています。24日がCT

25日が巻き爪の再調整ですが、外に出るだけでも大変そうです。

7月18日

抗がん剤投与の病院内投与が終わって、携帯用ボンベにカテーテルを繋ぎ変える頃には何時も多少の冷や汗とお腹がゴロゴロ言い出す。トイレに行って外に出ると熱地獄、車をひろって乗ったら冷房地獄なので最寄りの地下鉄の駅で降りました。また熱地獄ではおっていた上衣を脱いで地下鉄に乗ったら突然のお腹ゴロゴロ鳴り出し途中の駅で用を済ませ再乗車、上衣を着ても寒いので冷房のなるべく効かない場所に座り自宅最寄り駅で下車しました。近所で軽食をしましたがもちろんお店は寒いので上衣は必需品です。でも食欲が湧いたのは何故か冷やし中華でした。何か食べ出す時何時も鼻水が無意識に出てきます。これも末梢神経障害の一部でしょうか老化でしょうか?噛めない前歯でソバ類を食べるのは難しく時間がかかります。抗がん剤投与針の抜ける次の20日には代わりの歯が入ります。

それにしても突然のトイレ、鼻水、歩行の不便など諸々考えると他の人との統一行動や、公的なイベントなどは迷惑を掛けるだけなのでもう無理だと思いました。

皆さん未だ頑張ってと激励していただき有難いのですが後期高齢者になったと言うで勘弁して下さい。

 

7月16日

毎日の酷暑身体にこたえます。広島、岡山など被災者の事を考えると暑いなどと言っていられません。

TVを観ていると東北の震災の時を思い出します。母の自宅介護をしており、経管栄養の工場が東北に在り「経管の為のは栄養もう入荷しません」と言われてしまいました。こんな絶望感を現地の入院患者さんやご家族は味わっているのだと思うと心が痛みます。

明日から抗がん剤投与の日です。朝早くに家を出るので暑い時間は病院で避難出来ます。来週はCTを撮り、今のクスリが効いているか、ガンの進行具合はどうかの大事な判定になります。極端に言えば余命の目安もはかれます。巻き爪のメインテナンスも来週です。それにしても余命と巻き爪の話しを一緒にするは違和感がありますね。

 

 

7月11

化学療法の先生は「抗がん剤は強い薬だからどこにどんな障害が出てもおかしくない」といつも言っているが、確かに髪の毛から足の爪まで何かかにか問題が起きる。

先日来前歯がぐらぐらで普通に食べてもかみ合いが悪くて奥歯でも痛くてうまく噛めなかった。今日は久しぶりにかかり付けの歯医者に行きました。抜けば良いのですが血小板数値が低いので血が固まらない可能性があるので固定しましょうとの提案に同意、お願いしましたが、やっている途中で「やはり抜いたほうが良いかな」と方向転換〜私もイチかバチかで同意し2本抜きました。幸い家に帰ると血は止まっていました。まだ麻酔が効いているが何時も有ったものが無いのは気持ちが悪い。

7月7

昨日皮膚科で巻き爪の矯正をしてきました。あえて治療と言わなかったのは保険の効かない美容整形だからだ。(良くなったらペディキュアでもしようかな。)

とりあえずベッドに横になり爪の周りをごそごそやっているがそれなりに痛い。5分程の後脳みそを突き上げるような痛さが2回。もちろん麻酔はしていない。私の場合は抗がん剤の副作用で元々痺れていて半分感覚がないので痛さの具合が普通の人と違うのか分からない。その後5分位の処置の後暖かい扇風機のような物で10分位温風を送られて終わった。写真のようにワイヤーが装着された。25日に再調整だ。

その日は当たる場所で痛さはあったが今日はもう痛くなく楽になった。やはり気にせず歩けるのは素晴らしい。末梢神経の麻痺は変わらず爪騒動で殆ど歩いていないので筋肉が退化していて歩くリハビリを一生懸命やらなければ。

7月4

昨日採血・診断・抗がん剤投与でした。血液検査の結果は微上昇の部分はありましたがほとんど変わらずでした。24日にCTを撮り状況を見ます

昨日は採血2人目でクリアしました。2人目の方は大ベテランで若手に説明をしながら1発でヒットしました。抗がん剤を続けていると血管がとらえにくくなるらしい。2年半もやっているので細い上に逃げて行くのだろう。

採血は朝8時~だったので、さすがに残念だったがサッカーは観られませんでした。

 

7月2

【がんの3大療法は「手術」「放射線治療」「抗がん剤治療」だが、高齢者にはいずれもハードルが高い。特に抗がん剤治療では、昨年4月、国立がん研究センターが「75歳以上の進行がんには効果なし」と報告した。

https://www.news-postseven.com/archives/20180530_684475.html

 

https://www.news-postseven.com/archives/20180530_684475.html?PAGE=2

 

下半期、後期高齢者(私事)のスタートからショッキングな記事になってしまいました。

これを国が実施したら医療費がだいぶ削られるでしょう。最近こんな素直でない見方をしてしまうのはな何故でしょうか。それにしても70才を過ぎたらがんの検査をしっかりして治療をしておかないと75才を過ぎたのでもう何もできませんと言われる時代になったら大変です。

明日は抗がん剤の投与日です。マーカーチェック(月1回)の日だと思うので、薬の効果によるがんの進行具合と肝機能、胆管などの血液データが分かります。

6月30

今年も半分終わってしまいました。来月から私も後期高齢者になります。今までと何がどう違うのかはあまり把握していませんが、昔なら長寿をお祝いしたり100才になると総理大臣の名前で杯が贈られたりで、少なくてもいい悪いで言えば年をとる事はいい事だったような気がします。しかし最近は少し様子が違います。社会保障の問題と言えばいかに高齢者への支出を減らすかがメインです。若い人が大変なのは気の毒だと思いますが、老人は急に増えたわけでなく一度に2~3歳年を取る人がいるわけでなく何年も前から分かっていた事ですよね。その事も読み込まないで、この日の為に蓄えた年金がたまると余計な施設や不動産に無駄遣いをしたりで使ってしまい、今になってお金が足りないからと高齢者が悪いように言われるのは納得できません。また道徳教育などで昔に戻りたい部分と経済優先の高齢者に対しての考え方の矛盾はどう折り合いをつけるのでしょうか。

6月26

名古屋大学病院で「CTの検査報告を見過ごして治療が遅れ患者が死亡した」との記事が出ていたが、今度は横浜市立大学病院でも情報の共有が出来ていなかった。6月10日の千葉大と同じく根底にシステム的問題があるとおもいます。やはり患者を総合的に診るシステムが必要だ。まず癌があり、転移でどこに出るかわからない。消化器に出るか循環器に出るか脳に出るか、また抗がん剤治療をしている場合は副作用がどこに出るかわからない。表に数値で表れる体の機能や血液の状態などはチェックできるが、シビレや倦怠感、皮膚や内臓などに出るものはなかなか分らない。またそれぞれが影響しての2次的な問題点も出てくる。

最近のように外来が中心になると数分の診察・会話で処理せざる負えないのでとても細部にわたってその患者の状況把握は出来ないし、更に患部が別の診療科になると診断や処置もその場ではできずそれぞれの専門に振ることになる。私も皮膚科、乳腺外科、消化器外科、化学療法法科など色々かかりました。例えば副作用のシビレは本来神経内科らしいですが、診察で足が痺れますで終わってしまいます。確かに的確な治療の方法はないようですが・・。しかし副作用でまともに歩けないのはが癌でなくても大変な病気だと思います。入院時は朝の体温、体重、血糖値、酸素量、尿・便のデータなど毎日チェックするので全体像が分かるのだろう。それと看護師との毎日の会話も大事なデータになります。やはり外来は便利だが細かいチェックが出来ないのでどちらを取るかですね。

6月21

針抜き無事終わりました。

足指の治療に近所の皮膚科に行きました。状況の説明をして診断していただきました。19日に焼いたばかりなので、とりあえずテーピングで収まるまで様子を見て7月6日にワイヤーで巻き爪の矯正を始めます長期作戦のようで2か月ごとに調整をしていきます。これは治療でなく整形になるので保険が効かないとの事で初回指1本7000円で2回目(2か月後)5000円がかかるそうです。

6月20

大阪の地震に梅雨が追い打ち。ガス、水道、電気とても不自由でしょう。冷蔵庫もダメ風呂にも入れない・・考えられません。お見舞い申し上げます。

GYAOで映画お探し何となくタイトルが面白いので見始めたらジャスト・ミートしました。このURLで立ち上げれば無料で観られます。

https://gyao.yahoo.co.jp/player/00460/v12808/v1000000000000001779/

6月19

本日抗がん剤投与のため通院。いつも通り採血の後皮膚科で足の指を液体窒素で焼いてもらう。血液検査の結果でALP:1238:γーGTP:582と肝機能の値が高いのが気になる。

6月18日

ここが痛いあそこが悪いとはなるべく言いたくないのだけど、これから同じ体験をする人の参考になるかも知れないので細かく書きます。

明日は抗がん剤投与びで足の指の治療もしてもらうが、巻き爪は近所の皮膚科に、更に前歯が2本グラグラなので歯医者にも行こうと思う。しかし薬のバッティングや血液による免疫力など普通の状況と違うのでそれぞれの医者が上手く対応してくれるのだろうか。治療の総合プロデューサーが必要だ。

 

 

6月10日

千葉大学病院の癌の見過ごしが話題ですが、一般的に病気になっても総合病院にかかれば安心だと思う。しかし病院が大きい程専門それぞれの分野に細分化され狭く深く扱われる事なる。本来生身の人間は全体のバランスで成り立っているので全体を診て諸々診断しなければならない。そういう意味では自分の状態や症状は自分が一番分かっていると思う。そんな理由で主治医にはいつも体の調子を高所から俯瞰して検討して欲しいが、なかなかそれは出来ない。
これは会社などに置き変えると、商品のユーザーが一番商品や会社の欠点・問題点が分かったりするのに似ている。更には政治の世界も国民が議員、政党、内閣、総理大臣などの問題点・本音が一番見えて居るのかもしれない。

6月8

 近足がしびれて杖をついて引きずって歩いていると靴を踏まれたり後ろからぶつかられたいする事がある。理由が分かったのだが、ラッシュ時などはあるテンポでみんな歩いています。当然私のような人がいるとよけて頂けるのだがその人の後がスマホを見ながら流れていると私にぶつかる。高速の事故のような物だ。悪いのは私だが気を付けようがないので危ない。そんな場所や時間をさけるのはこちらの責任だろう。

 

http://soar-world.com/2018/06/06/mariekozaki/ ヘルプタグ

 

赤い札に十字のマークが付いているタグをご存知だろうか。東京の地下鉄駅などで配っていたものだが、表面的には見えない妊娠初期や目に見えない障害者の存在をアピールするめのものだ。確かに頭が痛い、息が苦しいなどの障碍者は外目に分からないのでシルバーシートで譲ってもらいたくても伝えられない。

 

それとは別だが、ペースメーカーを埋め込んでいるなどの隣でのスマホ・メールなどは問題があるのでこのタグでアピールすることも出来るだろう。

 

6月5日

新抗がん剤セットの3回目投与でした。採血は2回目でやっと成功、血液検査の結果は腫瘍マーカーは、先ずCEAは半分になりました。しかしCA19−9は倍になりました。詳しくは分かりませんが効いている部分はあるので少し安心しました。

足の指も順調に回復しています。化膿も治ったので歩行も少し楽になりました。不思議なもので1番が解決すると2番が繰上げになるように、痺れは相変わらずでまた浮上です。

6月2日

左足親指の炎症はまだ完治しません。5日が抗がん剤投与日で足の手当てもしてもらいますが、今回の原因でもある巻き爪は病院では無理なようなので近所の皮膚科へ行こうと思う。女優古村さんのブログで再認識したのですが、副作用で巻き爪になる事も多いらしい。私は元々巻き爪でしたので更に強力に巻き込むのかもしれない。

歩くという最小限の運動も出来ず、欲しいもの、食べたいものを買いに行けない。

また出来なくなって出来る有り難さを感じた。寝たきりになった亡母がよく朝の出勤時に外から聞こえる足音に「みんなコツコツ歩けて良いな」と言ってたのを思い出しました。

5月28日

がんと確率は常について回るような気がします。先ず言われているのは2人にひとりは癌になり、3人にひとりが癌で死ぬと言われています。 次によく聞くのが5年生存率の言葉です。これは勿論手術の後5年再発が無ければ取り敢えずは安心という事です。乳がんについては10年ともいわれますが。 聞きかじりではありますが、抗がん剤が標準治療に薬に指定されるのは20%に有効のエビデンスが必要らしいが、実際に効くのは5%という話もあります。

さて60%はどんな確率でしょう。これは抗がん剤の中でも頭の毛が抜けやすい薬「イリノテカン」の脱毛率らしいです。私も1月から初めて最近パラパラと抜け始めています。 

5月24日

本日針を抜きました。副作用で象の足のようになったキタナイお腹を失礼します。

これを一人でやるのは私には無理です。カミさんに感謝。

5月22日

無事抗がん剤通院投与してきました。これから自宅投与です。足の化膿も歩ける感じだったのでタクシーは使わず済みました。

話は変わりますが、「セクハラ」「パワハラ」に続いて「エイハラ」を考えました。病院に居ると時々車椅子の老人を怒鳴ってる嫌な場面に遭遇します。逆に馬鹿にしたような赤ちゃん言葉の対応も嫌う人もいます。

これを高齢者(エイジ)ハラスメント「エイハラ」と呼びましょう。「エイヒレ」は居酒屋で頼む物なのでお間違えなく。

5月21日

足の化膿が治らない。白血球減少のせいか副作用のためか分からないが・・。外出もせず同じペースの毎日だと直ぐに時間が経ち、明日は2回目の抗がん剤投与だ。

バスを利用した新しい病院へのルートを発見したが、どの位歩けるかでどの経路・方法を利用するかを決めようと思う。

5月14日

最近また本を読むようになった。今の時期は痛かったり苦しがって死にたく無いなと思って、実際の緩和ケアのドキュメント的なものを読んでいる。ここ立て続けに私にとっては良い本に遭遇した。

 

ひとつは女優川島なお美の「カーテンコール」だ。普通なら絶対読まない本だ。大学の後輩でもあり、最後のTV出演の時の痩せ方が異常だった事もあり軽い気持ちで読んでみた。初めて分かった芝居に賭ける情熱。頑なに手術や抗がん剤を拒む頑固さ。金に糸目を付けない代替療法のトライなど良い意味でも悪い意味でま感心させられた。また鎧塚さんとの夫婦愛など素直な読みやすい文章で入院2日で一気に読んでしまった。

 

もう1冊はこれも夫婦の看病・闘病日記なのだが私と同じ結腸がんになってしまった妻を外科医の夫看病日記とした「医者が妻を看取る」だ。病院の全てを知っている医師が妻に言っていい事控える事に気を使いながら自ら治療に当たる姿が涙を誘う。お二人とも社会的にハイクラスな方だが病気は全く平等だ。

 

             カーテンコール

5月12日

 

副作用もなく無事退院しました。今回はサイラムザという分子標的薬の投与がメインでした。この薬は2015年から標準治療に認可されたものでがんが栄養を吸収するための血管を作らないようにする薬だが、サイト(下記参照)でその値段を見て驚いた。

これだけのお金を使わせていただくのだから効かないと申し訳ないが、自分の力ではどうすることもできないのが歯がゆい。

どんどん新しい薬が出来るのは有難いが実際に効くか効かないかのパーセント・エビデンスは高いものでは無いと思います。要はこれが私に効くかどうかは神のみぞ知るですが、私にとっては腫瘍発見から5ヶ月程野放し状態に近いのでマーカーも倍増で380台です。これが効かないとそろそろ癌本体の身体に対する影響が出て来るのではないか心配です。今までの身体に発症する症状は抗がん剤の副作用でしたが、ガンから来るものとダブルになると処置など複雑で難しいだろうと思う。

5月11日

度々病室内の事で恐縮ですがそこしか居ないので・・夜変なイビキをかく人の事を書きましたが、昨夜は更に異様な感じなので胸から喉にかけての病気かなと思っていましたがどうも一息が長すぎなのです。よくよく聴くと普通の寝息が別にあるのです。!波の音を何かで再生している様でした。!

 

病院には本当に様々な病気や家庭環境などの人が集まっていますが、何回かの相部屋の人との接触を体験してある共通パターンを感じる事がありました。

1つ上目線から世の中を見て看護師さんや関係者の人に対応する人です。言葉だけは丁寧で時には持ち上げたりして上目線の巧みさがあります。しかしリスペクトしたり心に踏み込んだ会話が無いのです。ちょっとした不手際があると居丈高にクレイムを付けたりもします。多分そんな生き方でそれなりの地位を築いて来たのだろうと想像出来ます。そういう人が多い日本だから大谷の様な人に人気が集まるのかもしれません

5月10日

昨日新薬含めて投与始めました。新しい薬をやる時は仰々しく胸の心電図から酸素量まで表示されるパネルが設置されナースステーションにも繋がっています。まるで集中治療室の様です。私の場合無事1日目の新薬は通過しました。後は既にやっていた薬なので問題無いと思います。

部屋問題ですが、何故か1名は分かりませんが他2名は私と同じ74歳でした。前にも書きましたが何か薬など処置する時は必ず名前・生年月日を言わされるので皆んな筒抜けです。(女性の大部屋は嫌だろうな)

煎餅バリバリのおじさんは夜中にシャックリが止まらず薬を貰っていたり(病気なので仕方ないが)。隣のおじさんは昼間のイビキとは違って夜は猫の喧嘩の様なイビキをかきます。いずれにしても投与の夜は寝られないので問題ありませんが・・。朝7時ですが殆ど寝ていません。

5月8日

病院1日目です。足が痛かったので家からタクシーで来ました。事務手続きの後予約してあった皮膚科で足の膨れを焼いて貰いましたが今日は痛かった。終わった後も前よりも痛さが残りました。お約束の検査は車椅子で周りました。4人部屋ですが、隣は昼間からイビキで向かいは煎餅をバリバリ食べています。斜め向かいはインターン風の女性が病室で診察しています。 騒がしい。

5月7日

明日から新抗がん剤投与の為入院です。すでに3回ほど抗がん剤入院は経験済みなので問題はないが、足の化膿があるので病院内の移動などが厄介だ。外来通院での投与は採血と診断だけですぐ投与だが、入院となると事前に心電図を撮ったりレントゲンを撮ったりし、尿や便の回数・分量などを毎日記入したりをし、食事を何%食べたかなども記録しなければならないがこれが結構煩わしい。

5月4日

足の指がなかなか治らない。世の中連休でイベントが目白押しなので私のスケジュール表には予定が色々入っています。抗がん剤治療中なのに食い意地が張っていて「ラーメン祭」や「カレーなる戦い」などそちら系統が多い。これはこれで結構なことだが足が痛くて行かれない。

足の治療は液体窒素で盛り上がった肉を焼いて取り除く作業で、綿棒にマイナス196度の液体を沁み込ませて低温で焼く治療だ。イボを取り除く時にこの方法をとる事が多い。本当は痛いらしいが私は元々痺れているのであまり感じない。何回かやらなければならないが丁度入院するので通院がなくたて助かった。

5月1日

本日病院にて血液検査(2回刺されました)、CTの診断と足の治療をしてきました。

電車で行こうと思ったのですがやはり足が痛いので途中から車を使いました。

CTの結果は肺は殆ど変化がなく、肝臓は少し大きくなっていました。従って抗がん剤のコースを変えることになり、8日から入院です。新しい薬に変わる時はシビアな書類にサインを要求されます。

(詳細は左文)

抗がん剤も3コース目に入るようで、私の考えた通り丁度半分で、残るコースが私に効くかどうかで期間が変わってきます。

化学療法の先生に足の相談をしたら皮膚科を紹介していただいたので治療を受けました。少し時間はかかるようだが丁度入院もするので治療もできます。

 

 

4月29日

5月1日に先日撮ったCTの結果を聞きに行きます。腫瘍マーカーが上がっているので進行しているとは思いますが、その程度が分かります。新しい抗がん剤になると思うので、改めて入院しての投与になるでしょう。いずれにしても副作用も変わってくるので気が抜けません。

 

写真は現在の左足の親指ですが、薬のせいか血液のせいか化膿しやすくなっています。痛いのは痛いですが、末梢神経のシビレの痛さと区別が難しいです。