1月1日

明けましておめでとうございます

 

元日の病院は閑散としています。

大晦日・元旦に働いている皆さんには本当に感謝しなければなりません。それぞれご家庭が有リ、日常生活が有ります。仕事とは言え私達患者の為に一年に一番大事な時間を割いて頂いています。

個人的にはカミさん、娘家族にも感謝です。家族をおいて娘が上京してくれています。感謝!

 

「今日だけは「おはよう」でなく「おめでとう」君の笑顔に春を感じる」

「初めての鐘の音を聞く病床で 安き世願い歳を酉年」

 

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病院も4日頃から活発になるようで、まだお正月気分。結局30日からは個室状態です。私は27日の手術以降37.5度程度の微熱が続いて、様子を診ています。手術後4日程度は発熱は普通だが、それを過ぎると合併症も考えられるので、明日の血液検査まで様子をみる。

 

キャンサー短歌

[がんもどき食べて気になる無記入の消費期限を神よ教えて]

 

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朝食前に採血をする事になったが、私の血管は細い、硬い、見えないで毎回医者や看護師を苦しめる。今朝もまず専門の若い先生が来て、左手で一度失敗し、右手で探したが駄目で「後から来ます。」と言って帰られた。数分後また長時間腕の血管を探しているうちに私がトイレに行きたくなり中断し、部屋に戻った時は居なかった。その後部屋担当の看護師が左腕に刺したが駄目で、30分ほどして専門の女性の看護師がトライに来た。この方が素晴らしかった。右手で1発でクリアーした。どうも話しでは経験や回数でなく、その人の持っている天性のものもあるようだ。


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世の中は今日から通常営業に入るのだろう。病院も多分外来は今日からで、混雑しているのだろう。入院病棟はまだガランとしている。

個人的には、ずっと続いていた微熱が今朝は69分だった。気分的にも爽快で、朝食も完食、順調に回復しているようだ。

夜中にイアホーンで音楽を聞こうと思うが、消灯下での作業はじれったい。絡み合うコード(国際問題の各国の思惑のように)そこで・・・

「イヤホーン絡まる常の音のヒモ 解ける力に平和賞授与」

 

元日に聞いた話だが、見舞いに香川県から上京している(娘)ママに夜孫から電話が有って、「TV観ていたら東京にゴジラが上陸したらしいけらど、見える?大丈夫?」そんな電話が有ったそうだ。その通り紅白歌合戦の事だが、何とも可愛いものだ。今年小学生になる。番組自体は小芝居が多くてNHKらしい。

昔から血管が細くて、硬くて、見えなくて、採血や点滴に大変ご迷惑をかけています。今回の入院では、いくつか書きましたが、3回失敗メンバーチェンジ4回目成功や、二人失敗3人目で成功などトラブルが多くて恐怖症ぎみ。最後は液漏れで腫れて一番痛い手の甲迄行きました。

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病院は今日からスタートらしい。

朝の教授回診があり、私の回復状況は殆どOKらしい。明日夕方担当医の説明があり、明日か明後日退院になりそうだ。

今夜からは相部屋の患者さんと一緒だ。島根県から飛行機で羽田から直行らしい。自宅から1時間弱の私は申し訳ない気持ちだ。

今回はクリスマスイブ入院、越年入院と言う貴重な体験だった。

手術の方は、術後気が付いた途端の激痛と微熱が長引いた事が特徴だった。

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体調は全て順調で、医者の回診も顔と傷口を見るだけで、退院準備バッチリですねなどの会話。

最終確認採血もスンナリ採れました。夕方担当医の説明があるとの事。

 6時に説明を受けました。採血結果も問題無いので明日7日退院決定。1415日の年末年始入院体験ツアー も最後の夜を迎えた。

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今回の再入院で改めてガンの怖さを感じた。前回の手術(9月)で見つからなかった小さいガンが抗ガン剤が無いと、たった3ヶ月でだいぶ大きく成長してしまうと言う事。再発はいつ何処で起きるか分からない事。

今回は肝臓のダメージも良くなっているので、この後抗ガン剤を始める。注射点滴でなく錠剤になるようだ。もちろん副作用は有るらしいが、最小限を願うばかりだ。

午後には久しぶりに自宅に帰れる。

 

1月8日

久しぶりの自宅は気が抜けたようで、1日ボーとしていました。気温もとても寒く病院でぬくぬくとしていたようにはいきません。

1月10日

傷跡も体の角度によって痛い。寒くて外出する気が起こらないので1日家の中でぶらぶらしていた。

ご飯もトイレもつい病院での習慣を思い出してしまう。まだ本調子ではありません。

1月11日

これから寒波が来るそうだが、手足のシビレは寒くなると一段とひどくなるようだ。

1月14日

退院から1週間自宅療養を満喫しています。

 

病院生活は何かと煩わしく、朝6の体温・体重測定、トイレのデータも🚽の回数(各尿の?cc)もコップで測って紙に書き込みます。歯磨きから始まるルートワーク。朝食はたいがい医師団回診とダブります。その後看護師の血圧・血糖値・酸素などのバイタル測定等々でとてもユックリ出来ない毎日でした。その間に採血や点滴で手にブスブスと何回も針を刺される訳です。(1回で済まない人なので)
とりあえず家に帰り何も考えずボーとして1週間過ごしました。


 

18日に抜糸(ホチキス)と抗ガン剤を始める事になるが、新しいラウンドが副作用がない事を祈り、それまでは大人しく自宅療養だ。

 

 

1月16日

 

2回目の肝臓手術の時に今度はどこを切るんだろうと心配していました。前の傷がデンとあるのでそれをよけて切るのかなと思っていました。

しかし、現実は殆ど同じ所を切っているようです。やはりチャックを付けて置けば良かったようです。明後日はホッチキスを抜きます

 

1月18日

抜きホチキスをし、新しい抗ガン剤の説明を受けました。今度は錠剤で、再発防止の役割です。いずれにしても副作用はあるようです。

 

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今抗ガン剤TS1をのみました。1回目1週間の始まりです。何時も思うのですが、抗ガン剤は身体のアスクセルとブレーキを一緒に踏む様なものだ。肝臓の手術して30日経っていないので、肝臓にはまだダメージがある中で当然負担をかける強い薬をのむわけだ。しかし癌が再発する可能性を考えるとそちらを採らざるおえない。何だか身体に申し訳ない気持ちだ。

 

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抗ガン剤を始めて4日目です。幸い副作用は今の所全くありません。副作用は蓄積してある時期に何が出るかどうかなのだが、初期段階はクリアしたようだ。

明日は退院後初めての仕事、FM番組の打ち合わせだ。久しぶりに仕事、FM番組の打ち合わせだ。久しぶりに久々の方々と元気で会えるのが嬉しい。

1月31日

1月も終わってしまいましたが、抗ガン剤投与以外進展がない。幸い今回の抗ガン剤では副作用が無いのが助かった。

 

 

人工知能

年末に少し書いたが、年明けの朝日新聞ではさかんにAI関係の記事が多い。これからは人間に代わって人工知能に任せる分野が増えていく。便利になったり、今まで出来なかった事が出来たり素晴らしい世界も広がっているが、それによって仕事を奪われる人が出たりでで世の中のシステムがだいぶ変わるだろう。更にある線を越えると、人間が振り回される。極端な話では人工知能に「地球を良くするには」と聞くと「人類を抹殺する事だ」と返事が返って来る。こんな笑えない話もある。

Facebook

フェイスブックを始めて2年程になりますが、元々好奇心と取り敢えず・・の気持ちで参加しました。懐かしい方と再交流出来たり、メッセンジャーが手軽に使えたりで良い部分もありました。逆に煩わしい面もあり、程々に参加していました。

病気になり体調の事もあり、また気分的に余りウオッチしたりupしたりする事に消極的になっていました。特に理由はないけれど、改めて考えるとなんと無く分かりました。他に人の活動やイベント、美しい景色や美味しそうなお料理、それなりにイイネを押していました。自分ではそんな気は無いのですが、皆さんの活躍や忙しく働いている姿などと自分の日常の生活とを対比して考えてしまっているようです。頭や理屈ではわかっている事も人間の気分は何とも出来ないようです。

暫くはFacebookから距離を置いて見ようと思います。

 

寛解・完治

 

普通の病気やケガは薬や治療である時期に完全に治るのが普通です。しかしガンは痴度かかると%は色々だが、直ぐには治りましたとは言えない。がんに侵されて症状が出た場合は臓器の切除や色々な治療で表面的にはガンがなくなる時期がある。それを寛解というそうだ。しかし体のどこかにがん細胞が潜んでいる可能性がある。よく言われる5年後の生存率という言うのは、5年の間に潜んでいたがん細胞が人体に腫瘍や症状で現れ、進行して命までも奪ってしまうかどうかの確立だ。これを再発と言うが、それが無く一応5年を超えると完治したとみなすらしい。但し乳癌は10年と言われているが、医者としては他のガンも何年たっても100%治ったと保障できないらしい。それが間の怖い所でキャンサー(がん陽性者)は心が休まらない。

 

病は気から

 

 

 

久しぶりに仲間に会って仕事的な打合せをした。皆さんが「顔色が良くなった」「元気そうで安心した」などなど言ってもらえるとその気になってしまう。よくいわれる話で会う人ごとに「顔色が悪い」「体大丈夫」「青い顔してどうしたの」など立て続けにに言われると健康な人でも体の調子が悪くなってしまうといわれるが、その逆の状態だ。事実仕事でもあり、本当にシャキッとして調子が良い。現在は病気ではないのでどんどん外に出て人に会った方が良いかもしれないと思った。

 

 

 便りが無いのは元気な便り

 

タイトルの様な事はよく言われるが、病気に付いて書く事があまり無い。抗ガン剤は1週間朝夕1錠ずつを続け、1週間休んで1クールで、今は最初のお休み週の真ん中だ。現在の所副作用は殆ど無いが、あるのは昨年7月迄の点滴抗ガン剤の副作用である(末梢神経障害)だ。これは全く良くならず足などは強くなっている様な気がする。足首から下に痺れが有り、歩くと左右の足の下に小さなテニスボールが3個位入っている感じだ。また普段物が触れると痛い。手の方は少し改善されているようで、指先だけの痺れになっているが、未だ楽器を弾くのは無理だ。これらがいつ迄続くかは医者に聞いても分からない。杖をつく生活は不便なものだ。

 

 


 

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今日から2週目の抗ガン剤が始まった。今シリーズは錠剤なので手軽で良い。抗ガン剤の発展は著しく、多分この薬は新しい物だろう。飲み方ローテーションも分量も決まっているわけでなく、患者の状況でだいぶ格差がある様だ。いわゆるエビデンス(臨床の結果)を積み重ねている段階では無いかと思う。

 

今私のやっている化学療法(抗ガン剤)は術後補助化学療法といわれるもので、再発を防ぐものだが、再発を防ぐ効果は68%らしい。例えば大腸ガン転移肝臓がんの術後5年の生存率が50%らしいが、この化学療法が上手く行けば生存率が58%になるという事だ。がん治療は出口を求めて青木ヶ原を彷徨うような感じだ。

2月4日

医者から運動をしろと言われているので天気のいい日はなるべく1度は外を歩くように心がけている。

今日は天気も良いし、あまり寒くないので久しぶりに電車に乗って井の頭公園へ・・・。土曜日でだいぶ人が出ていたがいい運動になった。

 

2月4日だが井の頭公園の梅はもうだいぶ咲いていた。この公園には70年の間に何回か酔っただろうか。自分が子供の頃から子供が出来て一緒の行ったり、孫が出来て連れて行ったり、時によっては一人でも・・。しかし杖を突いてきたのは初めてで、いつもの景色が違って見える。

下の一番左の写真は、私も初めて発見した作曲家中田喜直先生の石碑だ。いつできたのだろう。先生には生前とてもお世話になりました。ご存知のように「めだかの学校」「夏の思い出」など童謡を中心にたくさんの有名な作品を残された方でした。この碑には「ボニージャックスで有名な「ちいさい秋みつけた」の譜面と略歴などが書かれている。何か集まりがあっての先生のご挨拶の最後はいつもタバコはやめなさいが決まり文句だった。とても優しい物静かな先生だった。合掌!


2月7日

FM番組の収録日で五反田へ。風が強く寒い日だ。少し強風が吹くと46Kgの体は飛ばされそうだ。

3~4年前は57Kgあったので10キロ位やせたことになる。よくわからないのは、ガンで痩せるのはがん細胞が栄養を食っているのか、治療で食が細って痩せるのか、抗がん剤の副作用の口内炎などの影響かなどが今一つ分からない。

2月15日

 今日は1月7日退院後2回目の診察日でした。抗がん剤を始めて1か月で、今回の薬では目に見える抗がん剤の副作用はなかったが血液などへの影響はどうだろうか。採血も結構上手くいき、結果発表の診察になった。

もう一つの心配していた部分は、肝臓の機能とがんの存在を示すマーカーの値だが、今回はすべて順調だったので何となく気分がさっぱりした。

抗がん剤は続けるが、予防のためで治療の為ではない。しかも副作用があまりない事は分かったので少し安心だ。残るは半年前に終わった点滴抗がん剤の副作用の手足のシビレだけだ。ただこれは良くなる兆し全くなしでとても煩わしい。杖の生活はまだ続きます。あーあ!

2月21日

毎日の生活がパターン化しています。おかげさまで仕事をいただけたり、iphoneをバージョンupしたりで何かと忙しいので時間が飛ぶように過ぎていきます。色々な方との接触が多くなるにつれて、最近ガンになってしまった人の話が多くなったような気がします。TVなどでガンをテーマにした番組もたくさんあります。新薬が開発されるのは希望が持てますが、驚いたのは話題のオプジーボでも効果が出る人が20%位だそうで、高いお金を払って副作用に耐えても80%の人には意味がないらしいのには驚きました。

3月1日

今日は手術の結果を調べるCTスキャンと血液検査、それによる診察だ。結果はすべて順調だった。再発予防の抗がん剤は続くが、表面上のガンは一段落だ。最後の問題点は昨年7月までの点滴抗がん剤の副作用による手と足のシビレだけだ。これは年単位で残るらしいので割り切って受け入れるしかない。杖の生活は続くし楽器などは弾けないが贅沢は言えない。

一昨年のガン告知から約15か月、終わりのないガケの山道をくねくね自転車で走るような治療の毎日でした。それにしても家族や皆様の激励やご協力、お気遣いで今日があります。最初告知を受けたときは「多分2年かな・・・」が正直な気持ちでした。今は再発があってもそこから改めてのカウントです。今までのお礼の気持ちと、まだまだお世話をかける事をお許しいただいてひと区切りとします。

 

    3月からはブログコーナーに日記や思ったことをつづります。